大判例

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東京高等裁判所 昭和61年(ラ)292号 決定 1986年7月16日

申立人(調停事件相手方)

大永基礎工業株式会社

右代表者代表取締役

木津義弘

右代理人弁護士

小柳晃

相手方(調停事件申立人)

高橋ちか

右代理人弁護士

人見哲為

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告申立人(調停事件相手方)の負担とする。

理由

一抗告申立人代理人は、「原決定を取り消す。抗告人と相手方との間の江戸川簡易裁判所昭和六一年(サ)第六八号調停調書更正決定はこれを取り消す。相手方がした同裁判所昭和五六年(ユ)第七二号建物収去土地明渡請求調停事件の調停調書の更正決定を求める申立てを却下する。抗告費用は相手方の負担とする。」との裁判を求め、その理由として別紙「再抗告理由書」記載のとおり述べた。

二よつて、まず所論第一点について検討するに、民事調停において当事者間に成立した合意を記載した調書(以下「調停調書」という。)の作成権限が裁判所書記官に属することは、所論指摘のとおりであるが、調停調書の記載は、確定判決と同一の効力を有し(民事調停法一六条、民訴法二〇三条)、給付条項を含む調停調書は債務名義となるものであるから、その更正は、裁判所書記官によつてではなく、判決の更正に準じて裁判所によつて行うのが相当であると解される。

(なお、調停調書の更正の可否の問題は、既に調停当事者間で合意が成立し、且つ、当該調停事件を担当した調停委員会においても、その合意が不相当であると認められることなく、右合意を調停調書に記載することとし、右記載により調停が成立したものとされ、従つて調停手続が終了した(当然、調停委員会も存続しなくなつた)後に至りはじめて問題とされるのであり、しかも、調停調書の更正は、民訴法一九四条に準じ、調停調書の記載に後記三において説示するような見地からみて明白な誤謬があるとき(すなわち、当該調停調書に記載された合意内容の同一性を害することなく、単に表現上の瑕疵を補正するとき)に限り認められるのであるから、右調停調書の更正決定の可否の判断をするためだけの目的で、改めて調停委員会を組織することは必要でもなく、また元来調停委員会は、右のような事項を判断する権能を有する機関ではないから、いずれの見地からも、抗告理由第一点の主張は失当である。)

三次に、所論第二点の、原決定の肯認した本件更正決定には、調停条項の内容を実質的に変更し、抗告人に対し新たな義務を負わせるものであつて、民訴法一九四条を準用して更正し得る範囲を逸脱する違法がある旨の主張について判断する。

同条にいう「明白ナル誤謬」とは、調停調書の作成者において表現しようとした事項につき誤記、遺脱等のあることが、調停調書全体の趣旨及び調停の全過程に現われた資料等に照らし、明確に看取することができる場合を指すものと解すべきところ、これを本件についてみるに、相手方(本件調停の申立人)は、抗告人に対し、本件調停申立の当初から一貫して、単なる本件土地の明渡しではなく、本件土地上に所在する本件建物を収去した上での本件土地の明渡しを求めていることが明らかであり、右事実に本件調停調書の第一ないし第四項の条項を総合して考察するならば、右調停調書の第五項は、抗告人が違約した場合において、その文言どおり、単に本件土地を明渡すことを約したにとどまらず、本件建物を収去して本件土地を明渡すことをも包含する趣旨であつたにもかかわらず、本件建物収去の部分の記載を遺脱した明白な誤謬があるものというべきである。

四そうすると、右の明白な誤謬を更正する決定を肯認した原決定は相当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、抗告費用の負担につき民訴法四一四条、三九六条、九五条、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官伊藤滋夫 裁判官鈴木經夫 裁判官山崎宏征)

再抗告理由書

第一点 原決定は、調停調書を更正する権限のある機関に関する法令の解釈を誤つている。

一 原決定は、民事調停法による調停の手続において作成されたいわゆる調停調書に明白な誤謬がある場合は、たとい調停委員会でその調停を行なつたときでも、当該調停事件の係属した裁判所がこれを更正する権限がある、という。しかも、原決定はその根拠を積極的に述べることをしないで、調停委員会にその権限がないと原決定が考えた理由を掲げることにより、その説示に代えている。即ち、原決定は、更正決定をなし得る権限は「調停事件の係属した裁判所」か「調停委員会」のいずれかにある、と暗々裡に前提した上で、消去法により、後者にその権限があると認められないから、前者にその権限がある、との結論を採用している。しかし、二者択一と考える右の前提については何ら説示されていないから、原決定には理由不備の違法がある。(判決書は裁判所により作られるから、その更正は受訴裁判所においてなされる。それと軌を一にして、調停調書は裁判所書記官により作成されるから(民事調停規則一一条)、その更正は裁判所書記官においてなすべきである、と考える余地がある、東京高裁昭和三九年一〇月二八日決定・下裁民集一五巻一〇号二五五九頁参照。したがつて、原決定のごとく二者択一の前提に立つには、選択肢がその二つに限定される理由を付す必要があるのである。しかるに、抗告人が既に指摘したとおり、原決定はその点に何ら言及していない。)

二 次に、原決定は、調停委員会には調停調書を更正する権限がない、と認めるべき理由として、次の二点を掲げる。

1 調停委員会が「調停機関」であつて、「裁判機関」ではないこと。

2 調停委員会が調停の成立と同時に解散し、調停成立後には存続しないこと。

しかし、抗告人は右の二点を顧慮しても、なお原決定の結論を是認することができないと考える。その理由は以下のとおりである。

1 調停において当事者間に合意が成立しても、それにより調停が成立するわけではない。調停委員会がその合意を相当でないと認める場合においては、裁判所が民事調停法一七条の決定をするときを除き、調停が成立しないものとして、調停事件を終了させることになる(同法一四条参照)。調停委員会がその合意を相当であると認める場合に、その合意は裁判所書記官により調書に記載され、ここに初めて調停が成立する(同法一六条参照)。勿論、当事者間に成立した合意を調停委員会が相当であると認めた場合においては、裁判所が同法一七条の決定をする余地はない。

右のとおり、調停の成否は当事者間に成立した合意を調停委員会が相当であると認めるか否かにより左右されるわけである。しかも、その認否は調停委員会の過半数の意見によるのである(民事調停規則一八条参照)。調停委員会が過半数の意見により決議したことを調停主任が覆すことはできない。調停事件を管轄する裁判所も亦同じである。

2 右1に述べたとおり、調停委員会で調停を行なう場合においては、調停を成立させるか否か及び調停条項の内容をどうするかは、(調停当事者の合意の有無による制約はあるものの)調停委員会の専決事項となつている。この面においては、調停委員会は「裁判機関」に準じる機能を有し、かつ、それに準じる作用を果たしているのである。原決定は、このことを看過しているのではあるまいか。

3 次に、右1で述べた調停委員会の権能と作用に照らせば、調停委員会で調停を行なつた場合において成立した調停の内容(調停条項)を裁判所書記官をして調書に記載させるに際し、その内容を確定するのは調停委員会の権限に属することは疑う余地がない。調書を作る裁判所書記官は勿論のこと、調停主任や調停事件の係属する裁判所にも、調停条項の内容を確定する権限は認められない。換言すれば、調停において当事者間に合意が成立した場合に、調停委員会がその合意を「相当である」と認めるか、「相当でない」と認めるか、を決定することを媒介にして、調停条項の内容も調停委員会により確定されるのである。

4 そこで、調停委員会で調停が成立し、その調停条項を記載した調書に明白な誤謬があるか否かが後日問題になつた場合は、調停の成立時において調停条項の内容を確定する機能を有した調停委員会にその判断を委ねるのが相当である。たとい「裁判機関」であるにせよ、元来、調停条項の内容を確定する権能を有していない裁判所にそれを委ねるのは適切でない。「裁判機関」ではあるけれども、調停調書の執行力の排除を目的とする請求異議訴訟の第二審である高等裁判所には当該調停書を更正する権限がない、とされている(東京高裁昭和三八年九月二三日判決・判例時報三五七号三九頁)。そうであるとすれば、調停事件の係属した裁判所が、「裁判機関」であるというだけの理由で、調停調書を更正し得るものであろうか。又、訴訟上の和解手続が二人の受命裁判官によつて行われた場合において成立した和解を記載した和解調書に明白なる誤謬があるときは、それらの裁判官の所属する合議部により更正決定をすべきであつて、二人の受命裁判官がした更正決定は違法である、とされている(大阪高裁昭和四三年七月六日決定・判例時報五二九号五七頁)。合議体(民事調停規則一八条参照)である調停委員会において調停条項を確定して調書に記載させた場合において合議体でない裁判所がその記載の誤謬を更正し得るものであろうか。原決定は、抗告人が提示したこれらの疑問に何も答えていない。

5 なお、調停成立後は調停委員会が存続しないことは原決定の指摘するとおりと思われる。しかし、そのことは、事件単位に見れば、判決の場合も同様のことが言える。殊に、判決をした裁判官が退官したり、転勤したときには一層然りである。そのような場合において判決を更正するときに準じ、調停調書を更正するための調停委員会を組織すれば、原決定の指摘する難点は容易に解消する。調停事件の係属した裁判所には、任期二年の民事調停委員が置かれており(民事調停委員及び家事調停委員規則参照)、右のために調停委員会を組織するのに何の支障もないはずである。

6 菊井維大・村松俊夫ほか「全訂民事訴訟法Ⅰ」一〇七二〜三頁が「調停委員会によつて成立した調停調書の更正は、裁判官だけでなすべきではなく、調停委員会によつてしなければならない」と説くのは、その理由が明示されていないけれども、抗告人が右に述べたのと軌を一にするものと思われる。

第二点 原決定の肯認した更正決定は、表現上の誤りを訂正するのではなく、調停条項の内容を変更するものである。

一 更正決定は、調停調書の記載内容の同一性を保ちながら、その表現上の誤りを訂正することを目的とする。したがつて、調書の内容を変えることは許されない。それであるのに、原決定の肯認した更正決定は、建物の収去義務に全く言及していない調停条項(第五項)中に、建物の収去義務を加筆して、抗告人にその義務を負わせようとするものである。

二 原決定は、「本件調停調書の前記第五項の記載はその表現において本件建物の収去部分が遺脱したものであることは明らかである」という。果たして一義的にそういえるか疑問である。

相手方が本件調停条項第四項の規定に違反したとき(調停成立後に、第三者が本件土地若しくは本件建物を占有し、又は相手方が本件土地に建物その他の工作物を設置したとき)は、たとい調停条項第五項に「本件建物を収去して」の文言が挿入されていても、申立人において第三者に対する建物退去土地明渡等の債務名義を取得し、又は、調停成立後に建築された建物等の収去に関し相手方に対する債務名義をあらためて取得する必要があり、したがつて、調停条項第五項においては土地の明渡義務を明記しておけば足りた、からである。

三 右のとおり、原決定の肯認した更正決定は、本件調停条項(第五項)の内容を実質的に変え、抗告人に新たな義務を負わせるものであるから、民事訴訟法一九四条の規定を準用して更正し得る範囲を逸脱する違法のものである(本件とはやや事案を異にするが、最高裁(二小)昭和四二年七月二一日判決・民集二一巻六号一六一五頁参照)。

以上のとおり、原決定は調停調書の更正に関し民事訴訟法一九四条を準用するについて、その解釈を誤つた違法があり、原決定の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、抗告人は更に抗告の申立てをする。

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